2008年02月15日
当たり前ほど素晴らしいものは無い!終
昨日の続きです…
入院して6ヶ月が過ぎようとしたある日、院長先生が「やぁ!奇跡の少年!もうぼちぼち退院かな?」と
病室に来られました。そう、まだリハビリは半ばですが外科的治療は終わったので、退院して
後は自宅療養と埼玉県所沢市にある国立身体障害者リハビリセンターでのリハビリに切り替わるのです。
まだ首にはコルセットですが、杖をつけば何とか歩けます。
左手の指はあまり動きませんが物は掴めますし、右は殆ど大丈夫です。
脊髄の神経を傷つけると、多くの方が四肢麻痺か、下半身麻痺になるのですが
私は本当に奇跡的に部分部分の麻痺で済みました。
退院の日が決まり、病院でのリハビリ最終日、予定が全て終わった後リハビリ室にて
私はトランペットの演奏を担当の先生、看護士さん、皆さんに聴いて貰いました。
音もスカスカで、指もまわらず、初心者の中学生より下手な演奏でしたが、皆さん拍手して下さいました。
吹く前も、最中も、吹いた後も、これまでの事が走馬燈の様に思い浮かび、私は涙が止まりませんでした。
この時の事は一生忘れないです。
私はそれまで「生きる事」をそれ程深く考えた事が無かったのですが、
歩ける事・食事が出来る事・会話が出来る事・物が見える事・トランペットが吹ける事・この世に生きている事
意識せずに当たり前に出来ると言う事が、どれ程幸せで恵まれている事なのかを思い知りました。
人はどん欲ですぐに「あれが欲しい」「これが足りない」「なんか物足りない」と言ってしまいますが、
当たり前の日常を普通に暮らして行けているだけでも、それは既に満ち足りていて幸せな事なんだと思いました。
生きていてこそ言える事なのですが、この事故では痛く、苦しい思いを沢山しましたし、失ったものも大きいですが、
同時に私に「生きる事」「周りの人々に生かされている事」「感謝する事」「諦めない事」等沢山の事を教えてくれました。
この与えて貰った命を毎日一生懸命生きて、恩返ししたいと思いました。
私は非常にワガママで欲深い人間なのですが、心に迷いが起きた時は常にこの出来事を思い返しています。
所沢でのリハビリやその後の音楽の仕事関係でも色々な事があって、多くを学びましたがそれはまたチャンスがあれば…
今でも右半身の温痛覚麻痺と左手の指と左足に運動機能麻痺が残っていますが、日常生活に支障は無いし
何より素晴らしい家族に恵まれ、トランペットが吹けるので言う事無しです。
ちなみに最後の診察の時に、「また10年後に来なさい」と先生に言われましたが行ってません。って言うか東京まで行けんつーの。
リハビリについてはピアノがまた弾ける様になりたいので、暇を見ては家のピアノで左手の訓練中です。
もう終わりましたが、最近再放送で「白い巨塔」を夕方前にやっていて、大学病院がらみで
この事を書こうと思いつきました。教授総回診の時は少し違いますが、ドラマと同じような感じでした。(´・ω・`)ダイミョウギョウレツ?
長々と暗い話題でしたが、次回からは明るい話題のブログにしたいです。
追記
私が入院した病院は新宿にある東京医○大学病院という所で整形外科ではかなりの権威だそうです。
事故現場である練馬とは距離があるのですが、怪我の状況を見て救急隊の方が搬送して下さったそうで大変感謝しております。
また、入院中アイルトン・セナのレース中の死亡事故があったり、ビートたけしが同じバイク事故で入院してきたりして
世間もまた騒がしい様でした。やはりビートたけしはVIPなのか姿を見る事はありませんでしたが、
今話題の東国原知事やたけし軍団の面々は見かける事がありました。(^^ゞ
↓の写真は今日の本文とは全く関係ありません。高松空港にて離陸中の旅客機を撮りました。
Nikon D200 AF-S 80-200mm F/2.8D

入院して6ヶ月が過ぎようとしたある日、院長先生が「やぁ!奇跡の少年!もうぼちぼち退院かな?」と
病室に来られました。そう、まだリハビリは半ばですが外科的治療は終わったので、退院して
後は自宅療養と埼玉県所沢市にある国立身体障害者リハビリセンターでのリハビリに切り替わるのです。
まだ首にはコルセットですが、杖をつけば何とか歩けます。
左手の指はあまり動きませんが物は掴めますし、右は殆ど大丈夫です。
脊髄の神経を傷つけると、多くの方が四肢麻痺か、下半身麻痺になるのですが
私は本当に奇跡的に部分部分の麻痺で済みました。
退院の日が決まり、病院でのリハビリ最終日、予定が全て終わった後リハビリ室にて
私はトランペットの演奏を担当の先生、看護士さん、皆さんに聴いて貰いました。
音もスカスカで、指もまわらず、初心者の中学生より下手な演奏でしたが、皆さん拍手して下さいました。
吹く前も、最中も、吹いた後も、これまでの事が走馬燈の様に思い浮かび、私は涙が止まりませんでした。
この時の事は一生忘れないです。
私はそれまで「生きる事」をそれ程深く考えた事が無かったのですが、
歩ける事・食事が出来る事・会話が出来る事・物が見える事・トランペットが吹ける事・この世に生きている事
意識せずに当たり前に出来ると言う事が、どれ程幸せで恵まれている事なのかを思い知りました。
人はどん欲ですぐに「あれが欲しい」「これが足りない」「なんか物足りない」と言ってしまいますが、
当たり前の日常を普通に暮らして行けているだけでも、それは既に満ち足りていて幸せな事なんだと思いました。
生きていてこそ言える事なのですが、この事故では痛く、苦しい思いを沢山しましたし、失ったものも大きいですが、
同時に私に「生きる事」「周りの人々に生かされている事」「感謝する事」「諦めない事」等沢山の事を教えてくれました。
この与えて貰った命を毎日一生懸命生きて、恩返ししたいと思いました。
私は非常にワガママで欲深い人間なのですが、心に迷いが起きた時は常にこの出来事を思い返しています。
所沢でのリハビリやその後の音楽の仕事関係でも色々な事があって、多くを学びましたがそれはまたチャンスがあれば…
今でも右半身の温痛覚麻痺と左手の指と左足に運動機能麻痺が残っていますが、日常生活に支障は無いし
何より素晴らしい家族に恵まれ、トランペットが吹けるので言う事無しです。
ちなみに最後の診察の時に、「また10年後に来なさい」と先生に言われましたが行ってません。って言うか東京まで行けんつーの。
リハビリについてはピアノがまた弾ける様になりたいので、暇を見ては家のピアノで左手の訓練中です。
もう終わりましたが、最近再放送で「白い巨塔」を夕方前にやっていて、大学病院がらみで
この事を書こうと思いつきました。教授総回診の時は少し違いますが、ドラマと同じような感じでした。(´・ω・`)ダイミョウギョウレツ?
長々と暗い話題でしたが、次回からは明るい話題のブログにしたいです。
追記
私が入院した病院は新宿にある東京医○大学病院という所で整形外科ではかなりの権威だそうです。
事故現場である練馬とは距離があるのですが、怪我の状況を見て救急隊の方が搬送して下さったそうで大変感謝しております。
また、入院中アイルトン・セナのレース中の死亡事故があったり、ビートたけしが同じバイク事故で入院してきたりして
世間もまた騒がしい様でした。やはりビートたけしはVIPなのか姿を見る事はありませんでしたが、
今話題の東国原知事やたけし軍団の面々は見かける事がありました。(^^ゞ
↓の写真は今日の本文とは全く関係ありません。高松空港にて離陸中の旅客機を撮りました。
Nikon D200 AF-S 80-200mm F/2.8D

Posted by たぶりん at 01:57│Comments(0)
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