2008年02月11日
当たり前程素晴らしいものは無い!
実は私は平成6年の春に、東京にて交通事故で首の骨を折る重傷を負いまして一週間ICUで意識不明の重体。
その一ヶ月後手術、半年入院。一年間のリハビリと言う過酷な体験をした事があります。(´д`)/
その時期ささやかながらもトランペットの仕事をしておりまして、その日もリハーサルの帰り道でした。
その事故は私がトランペットを諦める切っ掛けにもなった事故でした。
傷病名は「第4、第5頸椎脱臼骨折及び頸髄損傷」というもので、
ご存じの方もいらっしゃると思いますが詩画集で有名な星野富弘さんと同じ怪我です。
ー興味のある方は星野富弘さんの著書で、もう絶版ですが『愛、深き淵より。』と言う本を探して一読してみて下さい。
私も入院中に読み、涙があふれて止まりませんでした。
ー
私はと言うと、意識を回復してから先生に言われるまで、そんな重傷とはつゆ知らず
ベッドの上で「すぐ動ける様になるわ」と、のんきに構えていました。(^^ゞ
高松から駆けつけた父、母、弟の三人は私より先にその事実を知っていたのですが、
全く顔にも出さず「すぐに良くなる」と元気付けてくれました。
同じ息子を持つ身の今考えると、その時の両親の心境は如何ばかりかと思います。
身が張り裂ける思いだったに違いありません。
髪の毛を全部剃り、首を引っ張る重りを付ける金具をドリルで頭蓋骨に取付け、
約4Kgの重りで首を引っ張っていました。そうしないと頭の重みで首の骨がどんどん潰れてくるからです。
体中管だらけで、頸椎の神経の腫れが引くまで約一ヶ月間ベッドに磔状態、天井を見つめて過ごしました。
どうせ動こうにも体中何処も自分の意志では動かなかったので同じ事ですが…(´・ω・`)
全く動かないかと思えば、突然脚とか腕が強烈な痙攣と痛みに襲われ、非常に苦しい日々が続きました。
それでも一週間、二週間と経つ内にだんだん右腕が少し動く様になってきました。
そこから私の心の戦い、第一ラウンドが始まったのです。(`・ω・´) 続く…
内容がかなりヘビーな上、長くなるので少しずつ書いていきたいと思います。
こうやってキーボードを叩いていると、当時を思い出してきて目頭が熱くなってきます。(;T T)
↓の写真は今日の本文とは全く関係ありません。散歩がてら見つけたネコちゃんです。にゃぁ〜
Nikon F3/T Ai NIKKOR 105mm F/1.8S FUJI TREBI100C (Nikon COOLSCAN V ED)

その一ヶ月後手術、半年入院。一年間のリハビリと言う過酷な体験をした事があります。(´д`)/
その時期ささやかながらもトランペットの仕事をしておりまして、その日もリハーサルの帰り道でした。

その事故は私がトランペットを諦める切っ掛けにもなった事故でした。

傷病名は「第4、第5頸椎脱臼骨折及び頸髄損傷」というもので、
ご存じの方もいらっしゃると思いますが詩画集で有名な星野富弘さんと同じ怪我です。
ー興味のある方は星野富弘さんの著書で、もう絶版ですが『愛、深き淵より。』と言う本を探して一読してみて下さい。
私も入院中に読み、涙があふれて止まりませんでした。

私はと言うと、意識を回復してから先生に言われるまで、そんな重傷とはつゆ知らず
ベッドの上で「すぐ動ける様になるわ」と、のんきに構えていました。(^^ゞ
高松から駆けつけた父、母、弟の三人は私より先にその事実を知っていたのですが、
全く顔にも出さず「すぐに良くなる」と元気付けてくれました。
同じ息子を持つ身の今考えると、その時の両親の心境は如何ばかりかと思います。
身が張り裂ける思いだったに違いありません。

髪の毛を全部剃り、首を引っ張る重りを付ける金具をドリルで頭蓋骨に取付け、
約4Kgの重りで首を引っ張っていました。そうしないと頭の重みで首の骨がどんどん潰れてくるからです。
体中管だらけで、頸椎の神経の腫れが引くまで約一ヶ月間ベッドに磔状態、天井を見つめて過ごしました。
どうせ動こうにも体中何処も自分の意志では動かなかったので同じ事ですが…(´・ω・`)
全く動かないかと思えば、突然脚とか腕が強烈な痙攣と痛みに襲われ、非常に苦しい日々が続きました。
それでも一週間、二週間と経つ内にだんだん右腕が少し動く様になってきました。
そこから私の心の戦い、第一ラウンドが始まったのです。(`・ω・´) 続く…
内容がかなりヘビーな上、長くなるので少しずつ書いていきたいと思います。
こうやってキーボードを叩いていると、当時を思い出してきて目頭が熱くなってきます。(;T T)
↓の写真は今日の本文とは全く関係ありません。散歩がてら見つけたネコちゃんです。にゃぁ〜
Nikon F3/T Ai NIKKOR 105mm F/1.8S FUJI TREBI100C (Nikon COOLSCAN V ED)

Posted by たぶりん at 23:20│Comments(2)
│その他色々
この記事へのコメント
そうだったんですね~。星野さんと同じだなんてものすごく大怪我じゃないですか・・・。よくぞご無事で・・・。乗り越えられたこと、本当によかったです。私が軽々しく言える事じゃないけど、生かされる運命だったんですよね。生きてるからこそ、今、たくさんの人との出会いや、吹奏楽団でパートの音をしっかりひっぱっていってくれていること、奥様やお子様にかこまれて幸せな事、すべてがあるんですよね・・・。音楽をあきらめた事はすごくつらかったかもしれないけど、今、ここで幸せに暮らしていらっしゃるから、それできっとよかったんですよ~。なんて私が言えることじゃないですが。すみません<(_ _)>
Posted by まんみ at 2008年02月12日 18:44
>>まんみさん
コメントありがとうございます。
>>生かされる運命だったんですよね。
これまで色んな人に同じ事を言われました。<(_ _)>
>>生きてるからこそ、今、たくさんの人との出会いや、吹奏楽団でパートの音をしっかりひっぱっていってくれていること、奥様やお子様にかこまれて幸せな事、すべてがあるんですよね・・・。音楽をあきらめた事はすごくつらかったかもしれないけど、今、ここで幸せに暮らしていらっしゃるから、それできっとよかったんですよ~。
私も本当にそう思います。音楽の仕事を諦めた時は本当に寂しく・悔しく・辛かったですが、この事故によって失った物より得た物の方が遙かに私の人生において大切な物です。
コメントありがとうございます。
>>生かされる運命だったんですよね。
これまで色んな人に同じ事を言われました。<(_ _)>
>>生きてるからこそ、今、たくさんの人との出会いや、吹奏楽団でパートの音をしっかりひっぱっていってくれていること、奥様やお子様にかこまれて幸せな事、すべてがあるんですよね・・・。音楽をあきらめた事はすごくつらかったかもしれないけど、今、ここで幸せに暮らしていらっしゃるから、それできっとよかったんですよ~。
私も本当にそう思います。音楽の仕事を諦めた時は本当に寂しく・悔しく・辛かったですが、この事故によって失った物より得た物の方が遙かに私の人生において大切な物です。
Posted by たぶりん
at 2008年02月12日 22:32
